
| 眩しいイエローの、90年式348tb。このマシンに乗せていただくのは3度目であった。最初は、なんと納車3日目に、畏れ多くも乗せていただいた。 その時は、まだマフラーがノーマルで、これがフェラーリだとは信じられないほどエキゾーストの抜けが悪く、大乗フェラーリ教信者の私は目の前が真っ暗になった。 高速道路を飛ばしてみると、実に直進安定性が悪い。運転してたオレは怖いのを我慢しつつ走っていたが、同乗者が恐怖のあまり「もう勘弁してくれぇ!」と叫んだことで、オレは自分の恐怖感が錯覚ではないことに気づいた。 フェラーリ様なのに! いったいどういうことだろう? なぜこんなにまっすぐ走らないのだろう? 音は悪いわまっすぐ走らないわ、これでいいのだろうか。 いや、きっといいのだろう、フェラーリ様は何でも許されるのだから。 しかし、仏様がマフラーを交換なさった途端、すべてが180度変わった。 なんていうんですか、人間には、コチョコチョされるとあんまり気持ちよくて恍惚状態に陥るようなツボがあるって言うじゃないですか。じゃなかったら、シャブをやりながらのSEXとかさ。ものすごいって噂でしょ。経験ないけど。 新しいマフラーを装着した348のエキゾーストノートは、言ってみりゃそういう快感を与えてくれる、恐るべきモノに変身していたのだ。直進安定性は悪いまんまだったけど。 3速から2速へのシフトダウン。バスのごとくしっかりダブルクラッチを踏むと、固いシフトがスッと吸い込まれるように入る。V8がクォン、クォンと短く咆哮する。 うひょおおおおおおおおおお! もうダメだ。気持ち良すぎて倒れそうだ。 快感のあまり、息も絶え絶えになりながら、私は箱根に到着した。
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これは、私が生まれて初めてキダスペシャルに試乗じゃなかった、キダスペシャルを装着した池沢先生の348tbに試乗した時のインプレッションである。
それはまさしく、自動車快楽における超絶フロンティアの発見だった。
キダスペシャル。このマフラーが、私の人生を狂わせたと言っても過言ではない。
| インターを降りた道端に、謎の名人(らしき)・キダさんは待っていた。 え、あの、この方ですか? どっからどう見ても町工場のオッチャンという風情である。 愕然とするほど、モロにオッチャンなのである。スーパーカーのマフラーを専門に作っている人なのに、到底スーパーカーとは縁もゆかりもなさそうな風貌だ。 顔を見ただけだと、フェラーリのマフラーを注文しても、トラック用のマフラーかなんかを持ってこられそうな感じがする。 私としては、ちょっと気難しい、陰のある渋い中年男を想像していたので、その落差に呆然とした。 しかし、この人が作ったマフラーは、間違いなく絶品だった。とてつもなくすばらしい音色を奏でていた。 日本人が作るマフラーは、パワーばかり追求していて音がないがしろにされているはずなのに、キダさんのマフラーはイタリアンどころではない。イタリア芸術の神髄に、日本の美――琴とか尺八とか、そういった繊細な感性までもが加味されたような、超絶な音がするのだ。
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そしてこれが、私が喜多さんに初めてお会いした時の描写である。
あの超絶快音と、この超絶なオッチャンぶりとのとてつもないギャップ。女を惚れさせるにはギャップが大事というが、私はこのギャップにもノックアウトされてしまった。男なのに。
キダスペシャル。それは、当初から伝説であり、今でも生ける伝説だ。喜多さん、飲みすぎて危ない危ないと言われながら、しぶとくご健在だからである(スイマセン)。
とにかくキダスペシャルは、私にとってひとつの神話である。
キダスペシャル。それはもともと、音がよければすべて善しのマフラーだ。
作りは多少テキトーかもしれない。本人はロクに音を聴いたこともないまま「こんなもんだろ」でテキトーに作っていたかもしれない。
しかし、テキトーに作ってあの音がしたというのは、天才以外のなにものでもないし、20年近く前から、性能はともかく音だけにこだわってマフラー作りをしていたということ自体、当時の日本人の勤勉第一の感性からすると革命的にお洒落さんであり、快楽主義的な試みだった。
そして今。
キダスペシャルは、フェラーリのようにエレガントなブランド化戦略を取って、大きくはばたこうとしている。
テキトーだったキダスペシャルを、昔のテキトーだった頃のフェラーリから、ほとんど滅多に壊れずに快感だけ三倍増みたいな現代のフェラーリのごとく、大きく進化させようという試みが完成しつつある。
キダスペシャルは今、フェラーリのように、永遠のブランドに昇華しようとしているのだ!
微力ながら、そのお手伝いができれば、これにまさるヨロコビはないっす。
